「何もできないのに偉そう」な無能上司に絶望した日。マウント男への期待を捨て、冷徹にスルーし始めた記録

「……はい、勉強になります」
週に一度の部内ミーティング。
偉そうな上司の中身のない説教を聞き流しながら、私は心の中で中指を立てていました。
実力は伴わないのに、プライドだけはものすごく高い。
自分でエクセルの表一つ作れないくせに、私がまとめたデータをモニターに映し出し、さも自分の成果であるかのようにドヤ顔で語り続けています。
部下をマウントするための道具としか思っていない「裸の王様」の機嫌を取るために、私の時間は今日も1時間、2時間とドブに捨てられていきます。
気もちよさそうにマウントをとるアイツの姿を見るたび、心底バカバカしくなってきました。
私がどれだけ現場で走り回り、実務を回していても、アイツにとっては自分の有能さを演出するための「便利な道具」でしかないのです。
これは、偉そうな無能上司に「敬意」を払うことをやめ、まともな人が損をするこの理不尽な職場で生き残るために「したたかなスルー」を身につけるまでの、静かな絶望の記録です。
「偉そうな態度」の正体は、実務能力ゼロの自分を正当化するためのマウントだった
「俺の若い頃はもっと泥臭く仕事をしてたぞ。お前らのやり方は甘い」。
そうやってドヤ顔で語るアイツの手元にあるのは、アイツ自身がエクセルを使えなくて、私がイチから作り直してあげた資料でした。
いや、どの口がそんな薄っぺらい武勇伝を語っているの?
アイツのプライドを満たすための「ご機嫌取り」にただ黙って付き合わされ、自分の貴重な業務時間がムダに削られていくことに、心底ウンザリしました。
よく考えれば、本当に仕事ができる人は、わざわざ過去の自慢でマウントを取る必要なんてないのです。
実務能力がゼロだからこそ、「自分は偉いのだ」とマウントを取ることでしか、自分の存在価値を保てない。
そう考えると、目の前で偉そうに踏ん反り返る上司が、ただの「痛々しいおじさん」に見えてきました。
なぜ「まともに向き合う」ほど消耗するのか?「ビジネスの基本」を信じて自分をすり減らした3つの記録
かつての私は、そんな相手にも「ビジネスパーソンとして正しく向き合えば、いつかわかってくれる」と信じていました。
ビジネス書にあるような正論を実践すれば、状況は良くなるはずだ、と。
しかし、それは相手がまともな人間である場合の話です。
承認欲求の化け物に正論をぶつけた結果、待っていたのは自分自身をすり減らすだけの、終わりのない徒労でした。
①「上司を立てる」という気遣いが招いた、さらなる増長
「まずは相手の懐に飛び込んで信頼を勝ち取ろう」と考え、わざと下に出てアイツの顔を立ててみました。
自分でエクセルの表一つ作れないアイツを、「さすがですね」とヨイショしてみたのです。
しかし、マウントを取ることでしか呼吸できない生物に、その気遣いは逆効果でした。
「こいつは俺より格下だ」「何を言っても反撃してこない」と認識された瞬間、見下した発言や無茶振りの頻度は倍増。
状況を良くするどころか、ただ都合のいいサンドバッグとしての地位を確立しただけでした。
②論破して正そうとした結果、アイツが「逆上」という防衛本能を見せた失敗
次に、明らかな事実誤認や非効率な指示に対し、論理的に間違いを指摘してみました。
しかし、エクセルの基本機能すら知らない相手に、論理的に業務のムダを説明しようとしたのが間違いでした。
仕事を進める上で必要な確認のつもりでしたが、アイツにとっては自分の薄っぺらいプライドを傷つける最大の脅威でしかなかったようです。
顔を真っ赤にして逆上し、後日、全く関係ない些細なミスをネチネチと責め立てられるようになりました。
無能の逆鱗に触れると、業務が理不尽に停滞するという最悪のバグを引き起こしてしまったのです。
③「背中で見せる」努力をしても、無能な上司には何も届かなかった末路
「言葉が通じないなら、圧倒的な成果で黙らせるしかない」と、必死に働いた時期もありました。
面倒な案件をいくつも巻き取り、部署の目標達成に大きく貢献すれば、さすがに認めるだろうと思ったのです。
しかし、実務を知らないアイツには、私が裏でどれだけ泥臭い調整に走り回ったのかを理解する物差しがありませんでした。
結果の数字だけを見て、「まぁ、俺のマネジメントが良かったからな」と、さも自分の指導のおかげであるかのように得意げにマウントを取ってきました。
部下が身を削って出した成果すら、アイツにとっては自分の「有能アピール」の道具でしかないのです。
結局、私がどれだけ裏で頑張っても、アイツの手柄を増やすための「タダ働き」にされて終わるだけでした。
頑張るだけムダ。評価の物差しを持っていない相手に、認めてもらおうとするのをやめた日
そもそも、無能な上司に「私の仕事を正当に評価する」ことなどできるわけがないのです。
その当たり前の事実に気づいたとき、怒りや悔しさよりも先に「あぁ、もう期待するのはやめよう」と、静かに諦めがつきました。
アイツの下で努力することの、圧倒的な非効率さ。
120%頑張ってアイツの機嫌を取っても、給料が倍になるわけじゃない。
むしろ、便利な道具として仕事が増えるだけ。
それに気づいてからは、上司から「評価されたい」と期待するのをきっぱりとやめました。
無理な愛想笑いをするのをやめ、不快な自慢話も「ただのBGM」くらいに思って聞き流すことにしたのです。
アイツのために自分の時間や体力を削って、「無料ボランティア」をするのはやめにしました。
もう怒りや悲しみすら湧いてこず、「この人に何を期待してもムダだ」と完全に割り切れた……つもりでいました。
「気にしない」という精神論だけでは、アイツから飛んでくる「実害」は防げなかった
「もうアイツには何も期待しない」。
そう決めて心のシャッターを下ろし、評価への未練は完全に断ち切りました。
しかし、物理的に同じ空間にいる限り、浴びせられるストレスまでゼロにできるわけではなかったのです。
存在を無視しようとしても、理不尽なマウントを取られるたびに、どうしてもイライラしてしまいます。
精神論で「気にしないようにしよう」と自分に言い聞かせるだけでは、アイツの無駄なマウントを完全に防ぎきることはできなかったのです。
物理的に同じ空間にいて、業務上の指示を仰がなければならない以上、どうしても無駄なストレスがかかります。
「なるべく関わらない」と思っても、ハンコをもらったり、報告をしたりする業務上の接点は絶対にゼロにはできないからです。
どうせ給料が変わらないなら、アイツの承認欲求を満たすための「ご機嫌取り」なんて、もう1秒たりとも自分の時間を使いたくありません。
どうすれば角を立てずに、アイツの相手をただの「事務作業」として無感情に処理できるのか。
私には、気休めの自己暗示ではなく、無駄に消耗せずに相手をやり過ごすための具体的な「スルーの作法」がどうしても必要でした。
自分を守るために、私はアイツを「無害化」することにした。私が身につけた『したたかな技術』
無能な上司の下でどれだけ汗を流しても、そこに「正当な評価」なんていう見返りは絶対にありません。
そもそも評価する物差しすら持っていない相手に認めてもらおうと努力することほど、これほどバカバカしい「時間のムダ」はありませんでした。
私に必要だったのは、相手を教育する根性でも反論する勇気でもなく、まともに向き合うのをやめ、ただの「職場の景色」としてやり過ごす具体的な方法でした。
結局、あの上司の性格は定年まで絶対に直りません。
こちらが歩み寄るだけ時間のムダなのです。
だからこそ、不快な自慢話を右から左へ受け流し、角を立てずに面倒な仕事を回避する。
そんな自分を守るための「自衛のスキル」を身につけるしかありませんでした。
私が無意味なご機嫌取りをやめて、静かな日常を取り戻すために身につけた『したたかなスルー技術』について、私がやってきたことをここにまとめておきます。
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