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「君はどうしたい?」という無責任な丸投げ。私が評価を損切りし、決断の責任を冷徹に突き返した記録

「君はどうしたい?」という無責任な丸投げ。私が評価を損切りし、決断の責任を冷徹に突き返した記録

「……それ、決めるのがあなたの仕事ですよね?」

出かかった言葉を、適当な相槌でやり過ごす。

自主性を尊重するフリをして、面倒な決断と責任をすべて私にスライドさせる上司。

アイツの「任せるよ」「君はどうしたい?」という言葉は、私にとって、また面倒な責任をすべて押し付けられる合図でしかありませんでした。

本来なら上司が引き受けるべき責任を、なぜか私が負わされている。

このおかしな仕組みに直面するたび、真面目に付き合うだけ無駄だと気づいたのです。

これは、無責任な上司に「評価されたい」という未練を捨て、自分の身を守るために冷徹な線引きを始めるに至るまでの、失敗談と静かな諦めの記録です。

アイツの「任せる」は、失敗した時の保険でしかなかった

「君はどうしたいの? 私は君の意見を最大限に尊重したいんだ」

面談やミーティングのたびに繰り返される、この耳当たりの良い言葉。

昔の私は、それを「信頼されている証拠」だと勘違いし、愚直に期待に応えようとしていました。

しかし、あるプロジェクトの頓挫をきっかけに、それが単なる責任の丸投げに過ぎないと気づいてしまったのです。

私が悩み抜いて決めた方針なのに、うまくいけば上司は「私のマネジメントの成果です」と平気で自分の手柄にしていました。

逆に、少しでも想定外のトラブルが起きれば、「私は君の意見を尊重した結果だからね」と、一瞬でハシゴを外してきます。

この人は、決断という責任から逃げるために、私を都合のいい盾として使っているだけでした。

私はいつから、この人の都合のいい「尻拭い要員」になってしまったのでしょうか。

なぜ「主体性」を発揮するほど首が絞まるのか?正論に裏切られた3つの記録

意識高いビジネス書には、「圧倒的な当事者意識を持て」「上司の決断をサポートせよ」といった正論が並んでいます。

私もかつては、その言葉を信じて泥臭くもがいていました。

しかし、決断から逃げ続ける上司の前では、その正論は、私自身を追い詰めるだけの単なる「自爆スイッチ」でしかなかったのです。

①「当事者意識」を持って決断し、責任だけを押し付けられた話

上司が決めないなら、現場を回すために私が決めるしかない。

そうやって「当事者意識」という言葉を自分に言い聞かせ、見切り発車で業務を進めたことが何度もありました。

しかし、いざクレームが発生したり、他部署との調整が難航したりすると、上司は「君が勝手に進めたことだろう」と、完全に知らん顔を決め込みました。

権限はないのに、責任だけが私の肩に乗っかってくるという、完全に割に合わない状況でした。

当事者意識を持てば持つほど、ただ自分が損をするだけだったのです。

②選択肢を提示するほど、アイツの「丸投げ」を助長させてしまった失敗

「上司には『どうしましょう』ではなく、A案とB案を持っていけ」。

これもよくあるビジネスの鉄則です。

私は毎回、メリット・デメリットを整理し、複数の選択肢を用意して上司のデスクに向かいました。

しかし、アイツは資料をパラパラとめくり、「うーん、君ならどうする?」とボールを投げ返してくるだけでした。

私が「私としてはA案が良いかと」と答えると、「じゃあそれでよろしく」の一言で終了です。

いや、なんで私が上司の仕事を肩代わりしているのでしょうか。

私が親切に選択肢を提示するほど、上司の「何もしなくても部下が勝手に決めて動いてくれる」という無責任な態度を助長するだけでした。

③「自分で考えて動く」を実践した結果、ただ自分の仕事が増えただけの話

「指示待ち人間になってはいけない」。

そんな正論に従って、上司が決めきれない部分を先回りしてカバーし続けたことがありました。

しかし、気を回して上司の仕事を肩代わりすればするほど、上司は「あいつに任せておけばいい」と完全に責任を放棄してしまったのです。

結果として、他部署との面倒な調整やクレーム対応といった、本来なら上司が引き受けるべき仕事まで、すべて私が一人で処理するハメになりました。

良かれと思ってやったことが、ただ自分の首を絞めていただけだった。

給料以上の責任を背負わされている事実に気づいた時、この無駄な足掻きが心底バカバカしくなりました。

「あ、もうこの人の代わりに頑張るのはやめよう」。

そう心底納得した瞬間、上司に対する期待は完全にゼロになりました。

自分で決められない人に、正しい評価はできない。私は努力を損切りした

冷静になって考えれば、至極当然のことでした。

そもそも、日々の業務の些細なことすら自分で決めることができない上司に、私がいくら頭を悩ませて決めたところで、その価値が分かるわけがないのです。

私の仕事の良し悪しすら判断できない相手に対して、「わかってほしい」「認めてほしい」と期待し、自分の時間や労力を無駄遣いする。

これほど私の人生において無意味なことはありませんでした。

この事実に気づいた瞬間、私はアイツの下で努力すること、そして「評価されること」への執着を完全に損切りしました。

もう、求められている以上のことはしない。

給料分の仕事だけを淡々とこなし、アイツが放棄した「決断」という名のボールは、冷徹に押し戻す。

そう心の中で静かに決意したのです。

しかし、ただ「断る」だけでは、面倒な丸投げは回避できなかった

とはいえ、現実はそう簡単ではありませんでした。

いざ「それは課長の管轄ですので」と正論で断ろうとすると、「やる気がないのか」と無言の圧力をかけられたり、露骨に不機嫌になられたりします。

ただ拒絶するだけでは、面倒な空気が漂うだけで、職場で平穏にやり過ごすことはできません。

もう、割に合わない努力は終わりにします。

私に必要だったのは、もっと頑張る根性ではなく、上司が放棄した「責任」を波風立てずに押し戻す技術でした。

私が都合のいい「何でも屋」を卒業し、無駄なストレスを抱えずに定時で帰るために使った『冷徹な線引き』の具体的なやり方を、ここにまとめておきます。

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