【決めない上司】に疲れた私が「先回り」をやめ、冷徹に手を引くまでの記録

「……また決めないのかよ」
心の中でそう毒づいた私に返ってきたのは、「好きなようにやってよ」という上司のいつもの適当な返事でした。
怒鳴られたりするわけじゃないから、周りからは「優しくて物分かりがいい上司」なんて言われることもあります。
でも、私にとっては、その『決めない優しさ』こそが地獄の入り口でした。
決断という一番重い責任から逃げ続ける上司の尻拭いをして、気づけば私だけが残業している。
溜まりに溜まった、やり場のない不満に、もう限界がきていました。
「どうして私が、『決めない』アイツの尻拭いをして、勝手に疲弊しているんだろう」
これは、真面目に先回りして自爆していた私が、会社への期待を捨て、冷徹に手を引くことに決めた日の記録です。
【決めない上司】の「優しい丸投げ」が、一番残酷で疲れることに気づいた日
「いいね、それで進めよう。あとは任せるよ」。
そう言って笑顔で席を立つ上司の背中を見送りながら、私はいつも、この会社のバグみたいな構造を呪っていました。
一見すると、部下の裁量を認めてくれている「優しい上司」に見えるかもしれません。
でも、実際は違いました。
アイツが「決めない」ことで発生するリスクを、ただ全部私に押し付けて、自分だけ安全圏に逃げているだけでした。
各部署に頭を下げて泥臭く調整するのは全部私。
でも、いざトラブルが起きれば「君に任せたはずだよね」とハシゴを外される。
手柄は上司のものになり、リスクだけが100%私の肩に乗っかっている。
そんな日々を繰り返すうちに、怒りを通り越して、ただただ「割に合わない」という冷めた感情だけが残りました。
「なぜ私がアイツの尻拭いをして、勝手に疲弊しなきゃいけないんだろう」
怒鳴らないし、否定もしない。
でもその裏側にあるのは、こっちの気力と時間を、タダの便利屋くらいにしか思っていない無責任さでした。
私は、この底なしの徒労感から抜け出すために、まずは「決めない上司」を動かそうという淡い期待から、完全に降りることに決めたんです。
もちろん、最初から諦めていたわけではありません。
むしろ、上司を変えるために、ネットや本に書いてある「上司の操縦法」みたいなものを、馬鹿正直に試した時期もありました。
期待するだけ時間の無駄だった。アイツが変わる日は一生来ない
ビジネス書やネット記事には、「上司を動かすためのテクニック」が溢れています。
私もかつては、そんな正論を馬鹿正直に信じて、あの手この手で決断を引き出そうと足掻いていました。
しかし、そのすべてが見事に私が損をするだけで終わりました。
「こうすれば上司は動く!」みたいなネットのテクニックを、藁にもすがる思いで試しました。
でも、あれは罠でした。
私が先回りして選択肢や情報を与えれば与えるほど、アイツに「もっと検討する(=今は決めない)ための材料」を与えてしまっていたんです。
①「A案とB案を用意して選ばせる」が招いた、作業量2倍の徒労
よくある「上司には選択肢を与えよ」というアドバイス。
私は律儀に、メリット・デメリットを整理した2つのプランを作って持っていきました。
返ってきたのは、「うーん、両方のいいとこ取りでC案作れないかな?」。
いや、マジで勘弁してほしい。
決断から逃げるための時間稼ぎに使われただけで、結局私の作業量がただ2倍、3倍に膨れ上がっただけでした。
②「期限を区切ってリマインドする」という名のセルフ罰ゲーム
「〇日までに確認をお願いします」と期日を切り、前日にはリマインドのチャットも送る。
これをやればさすがに動くだろうと思いました。
しかし、期日を過ぎても返信はなく、結局こちらから「あの件、どうなりました?」と何度も催促する羽目に。
上司のタスク管理を私が肩代わりしているだけで、完全に私の首を絞めるだけの罰ゲームでした。
③「上司の不安を取り除く(情報収集)」が招いた独り相撲
上司が決断できないのは、判断材料が足りないからだ。
そう考えて、競合データや他部署の状況など、考えうる限りの情報を集めてプレゼンしたこともあります。
結果は、「なるほどね。誤解のないように、もう少し様子を見ようか」。
あの資料作りに費やした数時間は一体何だったのだろうと、一気にバカバカしくなりました。
情報が多すぎても、結局決断できない人は決断しません。
私が一人で空回りして、勝手に疲労を溜め込んだだけの独り相撲でした。
120点の貢献を捨てて、給料分だけの仕事をすると決めた
何度か空回りした結果、私は「これ以上、あの人の決断の尻拭いはしない」と心に決めました。
上司を変えようと言葉で説得するのは、壁に話しかけるようなものです。
だから私は、上司を動かそうとするのを諦めました。
自分のタスクは完璧に終わらせる。
でも、上司の意図を先回りして資料を修正してあげることも、返信がないからと個別にリマインドしてあげることも、全部やめることにしたんです。
依頼されたタスクだけを淡々とこなし、それ以外の「忖度」は一切捨てる。
「最低限のことしかやらない人間だと思われたら、評価が下がるのでは」と怖かった時期もあります。
でも、よく考えれば、決断から逃げる上司に私の仕事を正当に測る尺度なんて最初からなかったのです。
その微々たる評価のために胃を痛めて残業するのは、どう考えても割に合いません。
私は評価への期待を捨て、「給料分」の仕事だけをこなす境界線を引こうと決意しました。
それでも「あなたがやってよ」という職場の空気がキツかった
もう尻拭いはやらない」と心の中で線を引くと、確かに自分の作業量は減りました。
しかし、今度は別のモヤモヤが私を襲うようになったのです。
私が手を引いて業務が滞り始めると、周囲から「あなたが上手く回してあげればいいのに」という冷やかな視線を感じるようになりました。
私がやらなければ、隣のデスクの同僚に迷惑がかかるかもしれない。
「私が我慢すれば丸く収まるのに」という申し訳なさが一番こたえます。
でも、私が無理をして回してしまうから、上層部は「いまのままでも仕事は回っている」と勘違いし、環境は一向に改善されません。
私がボランティアで回し続ける限り、結果的にチーム全員をずっと同じ状況に縛り付けてしまう。
そう頭では分かっていても、現場の空気や罪悪感に耐えるのは想像以上に居心地が悪いものでした。
ただ「やめる」と心で決めるだけでは、この同調圧力から自分を守りきることはできなかったのです。
罪悪感に負けないための、波風を立てない立ち回り
いざ現場で滞っていく業務を目の当たりにすると、どうしても「自分がやったほうが早い」「見捨ててしまうのは申し訳ない」という気持ちが出てきます。
「明日からは周りの目を気にせず突き放そう」と思っても、気持ちだけでうまくいくほど職場の空気は単純ではありません。
気合いで乗り切ろうとするから、つい「気を利かせてカバーしてしまう自分」に負けて、結局また上司のタスクを引き受けてしまうのです。
だからこそ、職場の線引きを「精神論」で解決しようとするのはやめました。
私に必要だったのは、強い心を持つことではなく、感情を交えずに「ここまでは私の仕事、ここからは上司の責任」と淡々と線を引くための「事務的な手順(具体的な立ち回り)」だったのです。
「気を利かせるのが正解」という思い込みを捨てて、波風を立てずに「これは私のボールではない」と差し戻す。
私が都合のいい「便利屋」を抜け出し、自分のタスクだけをこなして定時で帰るために使っている、具体的な3つの手順を次にまとめておきます。
精神論で消耗する前に、この「作業として線を引く仕組み」を取り入れてみてください。
⬇︎⬇︎⬇︎


