優しい上司は「無能」と同罪。“いい人”の尻拭いに疲弊した私が、会社への「期待」を損切りした生存戦略

「なんであの人が『いい人』でいるために、私が泥を被らなきゃいけないんだ」
ふとそう気づいたとき、私の中で会社や上司に対する期待が完全に冷めきりました。
怒鳴るわけでも、理不尽なノルマを押し付けてくるわけでもない。むしろ「ごめんね」「いつも助かるよ」と声をかけてくれる優しい上司。
世間一般の基準で言えば、いい職場だと言われるのかもしれません。
しかし、その「優しさ」の裏側で、私はいつもアイツが先送りにした面倒な作業を片付け、他部署に頭を下げ、自分の残業時間でその穴埋めをしていました。
これは、優しさという名の搾取に気づき、私が無能な上司の「尻拭い」を辞めた日の記録です。
「優しいけど無能な上司」の正体は、決断から逃げ続けるだけのシステムだった
アイツの態度は、決して私たち現場への思いやりなどではありません。
部下から嫌われたくない、他部署と波風を立てたくない。つまり、「自分が責任を取るような判断をしたくない」という、ただの保身です。
トラブルが起きても「まあまあ、穏便に」と笑って誤魔化し、誰かが(つまり私が)見かねて裏で泥をかぶって処理するのを、ただじっと待っている。
自分で判断して矢面に立つ覚悟がないのです。
アイツはただ「決めること」から逃げているだけのシステムであり、まともなコミュニケーションを期待するだけ無駄だと完全に諦めました。
上司を「同じ人間」として扱うから、期待して裏切られて疲弊する。
そう悟ったとき、私の中からアイツに対する怒りすらも消え失せ、ただ静かな徒労感だけが残りました。
なぜ「いい人の尻拭い」は終わらないのか?ビジネス書の「正論」を真に受けて自爆した3つの記録
ビジネス書を開けば、「上司の弱みを部下がカバーしてこそチームだ」「主体性を持って先回りせよ」といった美しい正論が並んでいます。
しかし、それは相手が「責任を背負う覚悟のある、まともな人間」であることが大前提です。
決断から逃げ続ける人間に対してその正論を適用するとどうなるか。見事に自爆した私の3つの経験を紹介します。
①「上司の弱みをカバーしよう」と手伝ったら、本来の管理業務まで全て丸投げされた
「アイツは管理や調整が苦手だから、私がサポートしよう」
そう考えて、上司が放置しがちな進捗管理や、他部署との面倒なスケジュール調整を私が巻き取って処理した時期がありました。
良かれと思って手伝った結果、それはすぐに「私の通常業務」として固定化されました。
アイツが本来やるべき管理業務まで、いつの間にか全部こちらに丸投げされるようになったのです。
上司の弱みをカバーしたつもりが、ただ都合よく仕事を押し付けられる「便利な受け皿」になっただけでした。
②「現場の混乱を防ごう」と先回りして火消しをしたら、勘違いした上司のせいで仕事が増殖した
アイツのふんわりとした曖昧な指示のせいで現場が混乱する前に、私が先回りして各所に根回しをし、火消しをして回っていました。
しかし、私が裏で走り回って事態を収拾するせいで、アイツは「自分の指示で上手く回っている」と本気で勘違いし始めたのです。
自分が無能であることにすら気づかず、「任せるよ」の一言でさらに多くの案件を丸投げしてくる。
私が先回りして火を消せば消すほど、アイツは無責任になり、無限に私の仕事が増殖していくという地獄のループでした。
③「チームのため」に残業したら、上司の無能さが隠蔽されただけだった
「本当にごめんね、君にしか頼めなくて」
チームが回らなくなるのを防ぐため、「ビジネス書に書いてあるように、ここはこのピンチを私がカバーしなければ」と自ら残業を引き受け、尻拭いをしてきました。
アイツは感謝の言葉だけを口にして、自分は定時で帰っていく。
私が自らチームのために泥を被って残業した結果、「チームが回っている(上司は無能ではない)」という見せかけの平和が保たれました。
私の自己犠牲によってアイツの無能さが会社から隠蔽されるというバグみたいな構造の中で、私は延々と搾取され続けていました。
無能な上司の下で評価を気にするのは非効率の極み。私は「期待」を損切りした
そもそも、自分で決断すらできない無能な上司が、私の泥臭い尻拭いを正当に評価できるわけがないのです。
アイツの目には、私が「文句も言わずに勝手にやってくれる便利な機械」くらいにしか映っていなかったはずです。
評価されるために努力することは、この環境では非効率の極みでした。
「こんなバカげた環境、抗議してやるか」と思ったこともありました。しかし、アイツにそれを理解する知能はないと悟り、徒労感だけが残りました。
かといって、転職サイトを開いてみたものの、今の私にはまた一から人間関係を構築して戦うエネルギーすら残っていません。
だからこそ、私は会社に期待するのをやめました。
評価を諦め、いい人を演じるのをやめ、アイツの尻拭いも一切やらない。
必要最低限の自分のタスクだけを淡々とこなし、あとは定時を迎える「現状維持」へと、自分の戦略をシフトさせたのです。
しかし「ただ手伝うのをやめる」だけでは、自分を守りきれなかった
心の中で「もう絶対にアイツの尻拭いはしない」と割り切ったつもりでした。
しかし、現実はそう簡単ではありません。
上司が判断を保留して放置するせいで、後輩の作業が完全にストップしてしまったり、他部署からの問い合わせが宙に浮いたままになったりする。
「ここで私が放置したら、無関係な人たちに迷惑がかかる」という責任感。
そして、「揉めるくらいなら、もう私がやったほうが早い」という諦め。
「心で線を引く」という精神論だけでは、周囲へのしわ寄せを無視しきれず、結局また他人の仕事を背負うループから抜け出すことはできませんでした。
精神論に頼らず、他人の尻拭いを「作業」として差し戻す仕組みを作る
上司と正面衝突したいわけでも、職場で波風を立てたいわけでもありません。
ただ、つい手を出してしまう長年の癖や、見捨てることへの罪悪感は、気持ちだけで抑えきれるものではありませんでした。
だからこそ、自分を守ることを「メンタルの強さ」や「精神論」で解決しようとするのはやめました。
私に必要だったのは、相手に責任を自覚させる説得力でも、罪悪感に耐えきる気合いでもありません。
上司が放棄したタスクを角を立てずにスルーし、ただの「作業」として差し戻すための「事務的な手順(具体的な立ち回り)」だったのです。
私が都合のいい「便利屋」を抜け出し、他人の責任を被らずに定時で帰るために使っている、具体的な3つの手順を次にまとめておきます。
精神論で無理をして都合よく搾取されきる前に、この「作業として差し戻す仕組み」を取り入れてみてください。
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