【無能なイエスマン上司】に限界…。何も決めない職場で真面目な人だけがすり減るリアル

夜、帰宅して玄関の床にバッグをドサッと置いた瞬間、ふっと全身の力が抜けました。
「今日も、結局なにも決まらなかったな……」
暗い部屋の中でコートを脱ぎながら、ため息ともつかない息が漏れます。
会議室の時計の針だけが進み、仕事も気持ちも1ミリも前に進まない。
そんな徒労感だけが残る毎日が、いつの間にか私の“当たり前”になっていました。
私の上司は、いつも穏やかで、人の意見を頭ごなしに否定することはありません。
ハラスメントなんて無縁の、世間一般から見れば「いい人」です。
けれど、プロジェクトの方向性を決める肝心な場面になると、必ずこう言うのです。
「うーん、もう少し様子を見ようか」
「一旦持ち帰って、みんなで考えよう」
結局なにも決まらないまま会議は終わり、自席に戻った私は、誰も読まない議事録の「てにをは」を修正し、また来週のための「中身のない進捗報告スライド」を作り始めます。
そのたびに、私の中で“やる気”より先に“働く意味”そのものがゴリゴリと削られていく感覚がありました。
「様子を見て、一体何が変わるんですか?」と喉まで出かかった言葉を飲み込み、愛想笑いでやり過ごす。
焦っているのは自分だけで、周りは平然とこの“終わらない日常”を受け入れているように見える──。
その小さなズレと違和感が、じわじわと私の心をすり減らしていったのです。
決断から逃げる「無能なイエスマン上司」と、終わらない会議の絶望

会議室に集まり、綺麗に整えられた資料を開き、議題が読み上げられる。
形式だけはいっちょ前に整っているのに、肝心な「結論」だけがいつまでも出ない。
最もしんどさを感じたのは、ある部署横断プロジェクトでの出来事です。
案件自体は決して難しくなく、方向性もすでにいくつかの選択肢に絞れていました。
問題は——「誰も決断の責任を取りたくない」ということでした。
議論はそれなりに盛り上がります。
意見も活発に出ます。
でも最後に上司が放つのは、決まってこの魔法の呪文です。
「今日はここまでにしよう。他部署の意向も踏まえて、もう少し慎重に検討しようか」
その瞬間、会議室にフワッと“宙ぶらりん”の空気が漂います。
「また振り出しに戻ったな……」。
胸の奥で冷たいものが少しずつ広がっていくのを感じながら、私はそっと手帳を閉じました。
結論が出ないから、現場は誰も動けません。
でも、期限だけは無情にも迫ってくる。
結果どうなるかというと、締切直前になって「やっぱりあの方向で進めよう!」と急な鶴の一声が下り、現場である私たちが慌てて各所を調整し、残業と徹夜で資料をでっち上げる——そんな“泥縄対応”の無限ループでした。
一番つらかったのは、「何も前に進んでいないのに、会議という名の拘束時間だけが積み重なる」という絶望感です。
自分の命の時間とエネルギーが、音を立てずに吸い取られていくようでした。
現場へのしわ寄せ。「焦っているのは自分だけ?」真面目な人ほど浮いていく

会議の途中、ふと周りを見渡してハッとすることがあります。
自分だけがソワソワして、貧乏ゆすりをしそうになっている。
他のメンバーは悟りを開いたように落ち着いていて、私一人だけが空回りして浮いているような感覚。
頭の中では、こんな思考がぐるぐると回っていました。
「このまま放置したら、絶対後で炎上するじゃん」
「誰も危機感もってないの? 私がおかしいの?」
「ここで私が急かしたら、でしゃばる面倒なヤツって思われるよな……」
資料に目を落としても、文字がまったく頭に入ってきません。
「焦っているのは自分だけかもしれない」と思うたびに、孤独感で胸の奥がきゅっと縮まりました。
けれど、残酷な事実が一つあります。
実は、誰も悪気はないのです。
上司もメンバーも、それぞれに“失敗しないための無難な選択”をしようとしているだけ。
ただ、その過剰な慎重さと責任逃れの空気が、現場で実務を回す人間にとっては“停滞”という名の暴力になって牙を剥いていたのです。
怒られていないのにしんどい。「優しいだけのイエスマン上司」が奪うもの

パワハラ上司なら、思い切り憎むことができます。
「あいつのせいだ」と他責にできる分、まだ防衛本能が働きます。
でも、私の職場のしんどさは違いました。
上司は優しい。誰も怒鳴らない。
それどころか、私が徹夜で作った資料を見て「いつも助かってるよ、ありがとう。〇〇さん(私)のおかげで回ってるよ」と労ってすらくれます。
でも、その言葉を聞くたびに「だったらあなたが責任を持って決断してよ!」と叫びたくなる自分を、必死に飲み込んでいました。
何も決断しない代わりに投げかけられる、その場しのぎの優しい言葉。
それが私にとっては、真綿で首を絞められるように苦しかったのです。
判断が遅れる理由は、驚くほどシンプルでした。
「誰が最終決定するのかが曖昧」で、「波風を立てない選択肢を探す時間」ばかりが増えていくからです。
この見えない渋滞に巻き込まれ、一番泥をかぶるのは現場です。
判断を待つ時間が長くなるほど、手足を真綿で縛られたような息苦しさを覚えました。
何も決まらない状況が続くと、人は恐ろしいことに自分を責め始めます。
「私の提案の仕方が悪かったのかな」
「忙しい上司を急かすなんて、私って器が小さいのかも」
「こんなことでイライラするなんて、私がメンタル弱いだけだ」
こうした“無力感×罪悪感”のループにハマると、メンタルは一気にすり減ります。
「怒られていないのに、なぜこんなにしんどいのか」という、誰にも説明しづらい疲れ。
仕事への熱意はまだ残っているはずなのに、心のどこかで「どうせ自分が何を言っても無駄だ」という“静かな諦め”が、毒のように日常に染み込んでいきました。
涙も出ない。何も感じない。“限界サイン”は突然に

当時の私は、「自分がメンタルに弱いだけだ」「もっとうまく立ち回らなきゃ」と必死に自分にムチを打っていました。
でも、ある日の夕方。
取引先への「申し訳ありません、社内確認が遅れておりまして……」という、何度目か分からない謝罪メールを打っている最中でした。
ふと、画面の文字がかすんで見えなくなりました。
ポロポロと、キーボードの上に涙が落ちていました。
悲しいわけじゃないんです。悔しいわけでもない。
ただ、心がまったく動かないのです。
いつもなら「なんで私が謝らなきゃいけないんだ」と怒りが湧くはずなのに、ただ虚無感だけがある。
「あ、これ、私の限界なんだ」
そのとき、静かに直感しました。
朝起きても体が鉛のように重い。
休日に好きな映画を見ても、何も心が動かない。
自分じゃない誰かが、コントローラーで私を操作して仕事をしているような感覚。
怒りも喜びもわかない“無感情モード”は、心が完全に壊れるのを防ぐための、最後の防御反応だったのだと今は分かります。
無能な上司を変えるのは無理だ。私は、会社にシャッターを下ろすことにした

あの日、パソコンの前で涙を流した瞬間に、私はようやく悟りました。
上司を変えることはできない。
この「決断を避ける生ぬるい組織の体質」を変えることもできない。
私はずっと「なんとかしてプロジェクトを前に進めなきゃ」「私がフォローしなきゃ」と、自分の責任範囲を超えた重荷を背負い込んで、勝手に自滅していたのです。
「真面目に向き合うから、壊れるんだ」
「上司の優しさに付け込まれて、都合よく使われていただけだ」
「でも、私が手を引いたらプロジェクトが止まってしまう」
「周りに迷惑をかける冷たい人間だと思われたくない」
最初はそんな罪悪感が邪魔をして、どうしても手を抜くことができませんでした。
けれど、私が勝手に背負い込んでボロボロになっても、会社は何もしてくれません。
このままでは、私の人生そのものが都合よく消費されて終わる。
そう腑に落ちたとき、私の中で何かがプツンと切れました。
いい意味で、会社に対する期待を完全に捨てることにしたのです。
誰かを支える前に、自分の心を守り抜かなければ、本当に自分が壊れてしまう。
だから私は、仕事に対する熱意をそっと引き出しの奥にしまい、「ただ生き残るためだけの働き方」へとシフトチェンジすることを決意しました。
「上司は悪気がないから」「私がもう少し我慢すれば回るから」。
そうやって自分を騙して、すり減り続ける毎日は、もう終わりにしませんか?
私自身、優しいだけの「決めない上司」の尻拭いをし続けた結果、心がポキっと折れて無感情になってしまいました。
そこから私がどうやって「いい人」を辞め、上司との間に“冷徹な線引き”をしたのか。
波風を立てずに、自分の心を守り抜く「静かな退職」のリアルな手順を、次の記事で赤裸々に綴っています。
明日も続く“決まらない会議”に絶望して自分が壊れてしまう前に、どうかこの生存戦略を受け取ってください。
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