SHARE:

私を萎縮させる上司の正体はただの無能でした。機嫌取りをやめた私の「冷めた」生存記録

私を萎縮させる上司の正体はただの無能でした。機嫌取りをやめた私の「冷めた」生存記録

「……なんで、アイツに謝ってばかりなんだろう」

パソコンの画面を見つめながら、ふと、虚しさが込み上げてきました。

威圧感と不機嫌さでしか人を動かせない、アイツの薄っぺらさに気づいているのに。

それでも名前を呼ばれると、反射的に「すみません」と口にしてしまう自分への苛立ち。

どうして私がこんな狂った環境で、消耗し続けなければならないのか。

でも、明日スパッと辞表を出せるほどの気力も、もう残っていない。

これは、毎日のように繰り返されるくだらない機嫌取りに疲弊しきった私が、アイツと会社への期待を完全に捨てた日の記録です。

「この人は、ただ中身が空っぽなだけなんだ」と気づいた瞬間

私を萎縮させるアイツの正体は、いかに自分が泥をかぶらないかしか考えておらず、いざという時に何も決められない、ただの「無能」でした。

その事実を頭では理解しているのに、キーボードを乱暴に叩く音や、わざとらしい大きなため息が聞こえるたび、ビクッと肩が跳ねてしまう。

長年アイツに最適化されすぎた、たちの悪いバグのようなものです。

何かトラブルが起きれば「で、どうするの?」と現場に丸投げ。

自分が決断を迫られると、不機嫌なオーラを撒き散らして相手を威圧し、煙に巻こうとする。

大声と威圧的な態度でしかマウントを取れない、本当に底の浅い人間でした。

また不機嫌アピールか。

もう、勝手にやっててくれないかな。

こっちは自分の仕事だけで手一杯なのに……。

そんな冷めた本音が脳内を巡る一方で、私の身体は、長年の防衛本能からか、アイツの顔色を瞬時に読み取り、先回りしてご機嫌をとるような動きを自動的に行っていました。

無能な人間に怯え、コントロールされているという現実は、徒労感とともに「あんなスカスカな人間のために、私の生存エネルギーを浪費するのが、純粋に『損』だ」という、冷徹な感覚を私に植え付けました。

なぜ上司の顔色を伺っても解決しないのか?「正論」を信じて私が自爆した3つの記録

なんとか波風を立てずにこの苦痛から逃れたくて、ネットの記事や本によくある「上司との上手な付き合い方」みたいなテンプレを、バカ正直に試してしまった時期がありました。

しかし、それはこの狂った職場で、自分から地雷を踏みに行くような無駄な足掻きに過ぎませんでした。

①「相手の真意をヒアリングする」を試した末路

まずはコミュニケーションだと思い、アイツが不機嫌になったタイミングで「何かご懸念点はありますでしょうか?」「どう進めるのがベストとお考えですか?」と、真意を探ろうとしてみました。

しかし、返ってきたのは「それくらい自分で考えろよ」という怒声。

アイツは「自分の中に答えがないから、不機嫌になって誤魔化している」だけなのに、そこで「どう進めますか?」と聞くのは、コンプレックスを直撃する行為だったのです。

答えを持たない人間に答えを求めた結果、ただ逆鱗に触れて最悪な結末を迎えました。

②「期待以上の成果で認めさせる」という名のセルフ罰ゲーム

ならば、ぐうの音も出ないほどの成果を出せば、あんな威圧的な態度も収まるだろう。

そう信じて、120%の力で仕事に打ち込んでみた。

頼まれてもいない資料のブラッシュアップまで行い、完璧な状態で提出してみたのです。

結果的に待っていたのは、承認ではなく「こいつにはもっと仕事を押し付けても文句を言わない」という、都合のいいサンドバッグ認定でした。

威圧感はそのままに、アイツの尻拭いのような雑務が倍増しただけ。

「期待に応える」という行為は、ただのセルフ罰ゲームのようなものだった。

③「論理的に意見を伝える」が招いた、威圧のエスカレート

感情的にならず、データや事実をベースに論理的に意見を伝えれば、さすがに納得するだろう。

そう思って、理路整然と業務の改善案を提示してしまった。

これが一番の悪手でした。

無能な人間にとって、部下から感情論を排して論理的に話されることは、「自分がバカにされた(論破された)」という屈辱にしかならないのです。

「自分の無能さを暴かれる恐怖」を感じたアイツは顔を真っ赤にして論点をすり替え、以前にも増して執拗な粗探しをしてくるようになりました。

正論は、弱い犬をさらに吠えさせるだけの結果に終わったのです。

会社への期待を完全に見切り、「給料分の作業」だけをこなすと決めた

三度の自爆を経て、私はようやく悟った。アイツを変えることはできないし、会社が助けてくれることもない。

このバカバカしい環境への期待を、完全に損切りするしかないのだと。

あぁ、もう何を言っても無駄なんだ。

まともに向き合うだけ、自分がすり減るだけだ。

そう決意した日から、私は評価されるための120%の過剰な貢献を捨てました。

先回りして気を回すことも、アイツの機嫌をとるための愛想笑いもやめました。

感情のスイッチを切り、心のシャッターをガシャンと下ろす。

そして、「言われたことだけを機械的にこなす」という、必要最低限の仕事だけに留めることにしたんです。

理不尽な指示が飛んできても、「はい、承知いたしました」と、内心はビビりながらも表面上だけは淡々と頷き、相手の言葉を右から左へ聞き流す。

この徹底して心を「無」にするやり過ごし方のおかげで、私の中にわずかながら「凪」のような時間が戻ってきました。

「心を無にする」という精神論だけでは、物理的なダメージは防げなかった

会社への未練を断ち切り、感情を殺して「必要最低限」で生きる。

それである程度のダメージは減ったが、完全な解決には至りませんでした。

心を閉ざしたつもりでも、現実のオフィスにはアイツの舌打ちや、威圧的な足音が響き渡る。

頭では無視しようとしても、それを見聞きするたびに身体が勝手に緊張してしまい、余計なエネルギーを消費します。

結果として、帰りの電車に乗る頃にはHPがゼロになっていました。

「アイツは無能だ」と頭で見下して心を無にしても、浴びせられる不機嫌ハラスメントを物理的に防ぐことはできななかったんです。

心を無にするというのは、要するに「ノーガードで理不尽な飛び火を浴び続けている状態」に過ぎません。

ただひたすら耐えるだけの精神論では、いつか限界が来る。

相手の威圧感を無力化し、自分の心を削られずにやり過ごすための「具体的な捌き方(スルー技術)」が、今の私には絶対に必要なのだと思い知らされました。

私は私を守るために、ただ静かにやり過ごす

相手を変えようとする無駄な努力を捨て、自分が傷つかないための防具を揃える。

それが、この理不尽な職場で生き残るための、私の冷めた生存戦略です。

頭では「アイツは無能だ」と分かっていても、大きなため息や高圧的な態度を目の当たりにすると、どうしても反射的に萎縮してしまう。

「心を無にする」と決めただけでは、この動悸も、帰りの電車でのドッと押し寄せる疲労感も、消えてはくれませんでした。

私に必要なのは、ただ耐える精神論ではなく、飛んでくる不機嫌や威圧感をスッと横に受け流し、まともにダメージを食らわないための「具体的な立ち振る舞い」でした。

これ以上、あんな無能なヤツのために自分の心をすり減らさないための、泥臭い「したたかなスルー技術」については、別の記事に書き留めておきます。同じように消耗している人の、防具になれば幸いです。

⬇︎⬇︎⬇︎